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大谷貴子さんからの寄稿全文

特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会副会長

大谷氏神奈川県知事と.jpg

 「6月9日、黒岩祐治神奈川県知事に会わせていただきました。しかも一対一です!!!せっかくですから、日頃より骨髄バンク事業にご尽力いただいている皆さまにこのことをお伝えしたくて寄稿させていただいた次第です。少々、長くなりますが、最後までお付き合いいただけますよう・・・。」


 すでにご存知の方も多くいらっしゃいますが、夫の姪が2020年1月23日にスキルス胃がんで亡くなりました。32歳、そして、可愛い可愛いさかりの4歳の双子の女の子を遺しての無念の旅立ちでした。発症は、2019年10月9日。あっという間に逝ってしまいました。白血病なら助かるチャンスがあるのに、と、何度思ったことでしょう。ちなみに姪は、双子がようやく幼稚園にも慣れたので、10月1日から仕事を始めたばかりでした。9日の朝に吐血するまで自覚症状はありませんでした。本当に恐ろしい病気です。

 さて、姪はたった三カ月の闘病でしたが、二つの大きな宿題を私に残してくれたと思っています。その一つ一つの宿題の答えが、黒岩知事との面談でもたらされたのです。

 宿題①<AYAがん患者さんの在宅緩和ケア制度の不備>

 スキルス胃がんのステージⅣb(これ以上のステージは無い状態です)と診断され、余命いくばくも無い、と分かった時点で義理の姉(患者の母)は、絞り出すような声で「私が看取りたい」と言ったのです。緊急入院した姪の病室に泊まり込んだのは姪の夫。義姉は双子の孫の世話。義姉は、親としても祖母としてもどちらも世話をしたいだろうということは、すぐにわかります。でも、両方はかなわない。でも、両方かなえたい。

 しかも、絶対に助からない命。そんなに長くない命。なら、姪も一分でも長く可愛い子どもたちのそばにいたいはず。4歳の子どもたちも、ママと一緒にいたいはず。私は、すぐに「在宅緩和だ!」と思い至りました。

 まず、その制度の内容を知ろうと、すぐに厚労省に問い合わせました。厚労省に電話をしたのはあまり深く考えたわけではなく、手っ取り早く情報を入手しようと思っただけなのです。

 でも、その答えは衝撃的なものでした。

 「32歳では介護保険料を支払っていない年齢なので、そもそも在宅緩和ケア制度はない」とのこと。

 「え?え?え?」

 でも。落ち着いて考えてみたら、当たり前か・・・と。

 それでも、私は、在宅緩和に必要な物品を10割負担でも買うことを考えました。

 介護用ベッド、介護トイレ・・・でも、訪問医師や訪問看護師さんは?

 買えない!

 やはり、様々な制度がそろっていないと実現しない・・・。

 きっとこのような患者さんは多くいらっしゃるはずだ。スキルス胃がんの発症は若い人に多く、つまり、小さなお子さんが家で待っていたり、親がまだまだ患者さんの世話ができる年代だったり、と考えると制度があれば医療はついてくるはずだと、と。

 このような考え、いや、怒りを神戸にいる緩和ケア医の友人にぶつけました。友人は、「うん、うん、そうだね。本当に必要な制度なんだけどね。自治体によって差があるんだよね」と。「え?国の制度ではなくて、自治体単位?」と聞き直す私。「うん、神戸や横浜にはあるんだけどね。なかなか広がらなくて・・・」「え?横浜にはあるの?姪は横浜にお家を買って住んでるのよ」

 すぐに横浜市に問い合わせました。資料を取り寄せ、そして、地域の訪問看護ステーションに行きました。申し込みながら、双子の女児の話などをしました。なんと、ケアマネジャーさんは、「では、小児科の先生に担当してもらいますね」と、おっしゃいます。「いえ、患者は32歳です」「子どもたちと遊べるお医者さんが訪問した方がいいでしょ」と。なるほど。家に来る“おじさん”が怖い人より、一緒に遊んでくれる人がいいに決まっています。ただでえ、ママは病気になって、子どもも少なからず傷ついているのに、これ以上傷つけたくない。

 制度が充実しているところに医療は充実する・・・この言葉通りでした。

 入院先の病院に、この情報をお伝えし、良いタイミングで家に帰してもらい、そのあとは、在宅で過ごすことをお伝えしました。

 緊急入院から3週間ほどで、退院。モルヒネが良く効いていたので、痛みからは開放されてており、幼稚園のお迎えに行けたり、お弁当を作ったり、ディズニーランドにも行けました。

 しかし、徐々に家のベッドの上で過ごす時間が長くなり、在宅での輸血や治療が必要になってきます。でも、ずっと家で過ごしました。お風呂もリビングに特設してもらえました。介護の方が数人いらして、双子もママのお世話をします。三カ月前にはママにお風呂で世話をしてもらっていたのに、セーターを腕まくりし、かいがいしくママの足を洗ったりしていました。入浴後のドライヤーも二人でお手伝い。介護の人も積極的に子どもに世話をさせてくださっていました。それが、子どもたちも「ママは病気で亡くなった」ことを受け入れることにもなるからだそうです。

 クリスマスもお正月も家族で過ごし、1月23日の朝、幼稚園に行く準備も済ませ、「みんなで朝ご飯を食べるから」、と横になっている姪に義姉が声をかけたとき、変な目の開き方をしたので、義姉は名前を呼び、そして、双子を引き寄せました。姪は双子の顔をしっかり見たあと、静かに目を閉じました。亡くなる3時間前の午前5時にも訪問看護師さんがいらしてくださっていて、「いよいよ厳しい」と姪の夫は聞いていたので、義姉にも伝えていたのです。幼稚園に行く前でよかったし、家族全員で看取れてよかった。と、のちに言ってくれました。もちろん、家で亡くなっても警察が介入することもなく、そのあと私たちが駆け付けたときも、おだやかな時間が流れていました。

 ちなみに義姉は、「私が看取りたい」と言った覚えはない。と、あとで言っておりました。義姉は「病気になったら病院で死ぬもの」と思い込んでいて、娘に会えない日々が悲しい、と思っていたらしいのです。だからこその心の叫びだったのですね。亡くなったあと、「最期の三カ月、私が、『全部、家で世話』できて、本当に良かった」と言ってくれ、「私が看取りたい」と義姉が言ったのを聞き逃さなくて、良かったと思った次第です。

 姪の死後、「もし、姪が横浜に住んでいなかったら・・・」と考えました。実家は埼玉県。調べてみると政令指定都市であるさいたま市にも若年層への在宅支援はありませんでした。姪の実家の埼玉県加須市にも、もちろん、存在していませんでした。

 早速、さいたま市、加須市に働きかけ、1年はかかりましたが、制定されました。

 昨年の9月末から朝日新聞の「患者を生きる」で姪の経験が16回にわたり連載されました。

 その連載をかねてから骨髄バンクのボランティアである弁護士の菊間千乃さん(元フジテレビアナウンサー)が読んでくださり、旧知の仲である黒岩知事にご紹介いただいたのです。

 30年は経っていると思いますが、フジテレビの方である黒岩さんとはお目にかかっています。でも、その後、知事にご就任されてからはお目にはかかってはいませんでした。

 なんと、黒岩知事は、横浜市の支援はあっても、神奈川県としての支援がないことに気づいてくださり、県議会でお諮りいただき、今年3月の議会で制定が決まりました。

 そのことを朝日新聞の記者さんが取材に行かれると聞き、私はお礼のお手紙を託したのです。また、なんと、なんと、直筆のお返事までいただいてしまいました!
 
 宿題②<病室にフリーWi-Fiが無い>

 姪は、発症と同時に緊急入院しました。スマホと財布だけを握りしめて、夫と子供どもたちと一緒に救急車に乗りました。そして、そのまま入院。4歳の双子はいきなりママと別れなければならなくなりました。双子も悲しければ、ママも悲しい。夜になり、せめて絵本の読み聞かせをしようと家から絵本を持ってきてもらい、家にいる双子に語り掛けました。家はiPad。姪はスマホ。

 次の日、私が病院に行くと、「貴子さん、ギガが飛んだ!」と。意味がわかりませんでした。

 姪はほぼほぼ家にいるので、家のWi-Fiが利用できるので、スマホの契約ギガは最低ラインにしていたのだそうです。その最低ラインのギガ数では、絵本の読み聞かせ(ビデオ通話)をするとすぐに契約数に達してしまうとのこと。

 私はスマホをギガ使い放題の設定にしているので、毎日、姪の元を訪ね、私のスマホを貸していました。

 幸いにも前述したように在宅支援を受けえる準備も整いつつあったので、入院は3週間ほどですみました。なので、Wi-Fiのことはすっかり忘れていました。

 そして、亡くなったのが2020年1月23日。ちょうど、コロナが日本に入ってきた頃です。まもなくあっという間に感染が拡大し、あっという間に全国の病院で一斉に面会謝絶になりました。

 姪の闘いも終わり、姪の3カ月半の闘病を振り返る日々。どれだけ一生懸命尽くしても、後悔は残るもの。ああすれば良かったかな、こう言ってあげれば良かったかな、色々なことを考えていて、ふと気づいたのが、「コロナ禍だったら、私は面会に行けなかった。そうすれば、スマホを貸してあげることもできなかった。」ということです。そして、「あれ?なんで、病院にフリーWi-Fiがついていないの?」と思い始めたのです。

 今や、カフェでもホテルでも電車でも新宿公園でもフリーWi-Fiが整備されているのに、入院という患者さんにとっては生活の場に、なぜ、フリーWi-Fiがないの?姪の病院だけ?

 調べてみると、姪が入院していた病院は一日5万円(病院では一泊二日で10万円になります)の部屋にはフリーWi-Fiが導入されていました。4万円以下の部屋には導入されていませんでした。

 他の病院の状況を調べてみると、実に様々な状況であることが分かりました。無料の大部屋にもフリーWi-Fiが導入されている病院もあれば、スマホすら使用厳禁という病院まで、病院によってこんなに差があるのか、と思い知らされました。

 ちょうど、その頃、フジテレビを退社して、フリーになったばかりのときに悪性リンパ腫と診断され、コロナ感染症拡大の第一波のさなかに退院された笠井信輔さんと知り合います。笠井さんは、入院中、闘病の様子をつぶさに社会に発信されていました。なので、笠井さんの病室にはフリーWi-Fiが設置されていたのだろうと思いきや「いや、いや、毎月、8000円から1万円を払って、ギガ数をあげていた」とのこと。

 「それって払える人はいいけれど、ただでさえ、治療費などで困窮している人にとっては大変なことではないか」と話したところ、すぐに同意してくださり、オンライン上ではありますが、有志を募り、“#病室WiFi協議会”を立ち上げました。

 この活動は、笠井さんの発信力とメンバーの様々な力で、すぐに国を動かすことができました。しかし、Wi-Fiを病室に導入するかどうかを決めるのは、最終的には病院の決裁にゆだねられています。

 黒岩知事にこの件をお伝えしましたところ、早速に、神奈川県内のがん診療連携拠点病院の方々が集まる会議に笠井さんのプレゼンの場を与えてくださったのです。そして、話を聞いてくださっていたある病院の副院長先生から連絡が来て、Wi-Fi導入について、話を聞きたい、と。大きな前進です。全病院を対象に話をさせていただくということは、こういうことなんだな、いや、知事が本気になってくださるということはこういうことなんだな、と改めて感動し、感謝しました。

 宿題の答えは以上です。

 でも、黒岩知事にお目にかかったとき、あと三つの課題についてもお願いをして参りました。

 
 一つは、もちろん、骨髄バンクのさらなる啓もう活動です。キャンサーネットジャパンと神奈川県との協働事業<Start to Be>がありますが、さらなるご協力をお願いしてきたのは言うまでもありません。

 二つめは【横浜こどもホスピス うみとそらのおうち】への支援です。この施設は県立のものではないし、神奈川県の仕事でないことはわかっていたのですが、重篤な病を抱えている子どもたち、そして、ご家族の方々はどれほどこの施設に期待を寄せていることか、この施設が存続しなくなるようなことがあってはならない、と思って「何のご支援をお願いしていいのかわからないけれど、とにかく話を聞いてほしい」とお願いをしました。

 早速、副知事がこどもホスピスを訪問してくださり、県の担当職員の方も訪問してくださったと、こどもホスピスのスタッフの方から喜びの連絡がありました。

 三つめは「男性トイレにサニタリーボックスを」と私が提言した件です。

 今年の1月に、埼玉新聞に『尿漏れバッドはどこに』と、前立腺がんや膀胱がんの方々の治療後の尿漏れに対する悩みについて寄稿しました。前立腺がんや膀胱がんを手術で治療した場合、一定の期間、尿漏れが起こります。治療により体はとても元気になりますから、職場復帰は可能となります。しかし、人知れず患者さんたちが悩んでおられたのは、「トイレの中にごみ箱がない」ということでした。女性である私たちは、男性トイレにごみ箱が無い、なんて考えたことも、いや、その前に、そんなことは、想像だにしていませんでした。なので、ただ、ただ、びっくりした、と寄稿したのです。なんと、想定外の反響で、様々なメディアで取り上げられ、あちこちの自治体、今や、一般企業で取り組みが始まっています。黒岩知事はこの話も真摯に聞いてくださり、7月19日付けの新聞(神奈川版)に「県施設男性トイレに専用のごみ箱設置へ~県議会で知事答弁」として掲載されました。素早いご決断に心から感謝です。これにより、がん患者さんのみならず、様々な事情でごみ箱を必要とされている方への朗報になったことは間違いありません。

 黒岩知事のいらっしゃる神奈川県民の方がうらやましいです。宿題①の<AYAがん患者さんの在宅緩和ケア制度の不備>に関しては、さいたま市は整備されました。しかし、埼玉県は“対象人数が少ない”ということで棚上げのままです。

 対象人数は少なくても、対象の患者さんには時間がないのです。しかも、お若いので、小さなお子さんがいらっしゃる可能性が高いのです。もし、自分だったら、その上、このコロナ禍での闘病なら、まったく家族と会えないのです。家族と一分でも一秒でも長く一緒にいたいという願いを応援する気持ちになってほしい、と切に願います。

 おかげさまで、姪が遺した双子とはいつもママの話しをすることができます。何の隠し事もありません。ママが病気になり、弱っていき、亡くなった事実をそのまままっすぐに受け止めています。小学校一年生になり、明るく過ごしています。「いつも、ママちゃんはお空かから見ているんだよ」と私たちに教えてくれます。

 病院で亡くなっていたら、歩いて病院に行ったママが死後硬直で戻ってきた事実をどう受け止めたか、と思います。

 しかしながら、環境が許されず、病院で亡くなるという選択肢しかない方も多くいらっしゃいます。でも、在宅を希望される方の選択肢を増やす一助になるはずのこの支援を国の施策になるようにとさらなる働きかけをしていきたいと思っています。


 

​大谷貴子さんご寄稿全文
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